演歌界の女王・都はるみさん。その華やかな歌手生活の裏側には、知られざる私生活があります。全盛期には年収1億円を稼ぎ、複雑な恋愛遍歴を持つ彼女の素顔とは?本記事では、都はるみさんの年収事情から結婚歴、そして現在の暮らしぶりまで徹底調査しました。
都はるみの年収について
演歌界を代表する女性歌手として確固たる地位を築いた都はるみさん。独自の歌唱スタイル「はるみ節」で多くのファンを魅了し、日本の音楽シーンに大きな足跡を残しました。全盛期の都はるみさんの年収は1億円とも言われ、当時の印税ランキングで堂々の7位に入るほどの成功を収めました。日本コロムビアの調査によると、1984年の一度目の引退前には、20年間のレコード・テープ総売上が驚異の630億円に達していたといいます。
引退発表:復活の可能性の否定
都はるみさんのキャリアは一度の区切りを迎えます。1984年に一旦引退するものの、ファンの期待に応えて1987年に華々しく復帰。その後も演歌界の重鎮として活躍を続けました。しかし2013年、急性喉頭炎および急性気管支炎という深刻な疾患により、彼女の生命線である「声」に大きなダメージを受けることになります。そして2016年、TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」にゲスト出演した際に、最終的に引退を表明。その際「これ以上歌いたい曲がない」と述べ、復活の可能性を否定しました。
都はるみ印税で年収1億円?!
現在75歳を迎えた都はるみさんは、長年のヒット曲からの印税収入で年収約1億円の生活を送っていると言われています。年齢的な要因も考慮すると、彼女がステージに復帰する可能性はほぼないと考えられますが、その音楽遺産は日本の演歌史に永遠に刻まれています。
都はるみの知られざる恋愛遍歴
演歌界のレジェンド・都はるみさんの輝かしい歌手人生の陰には、あまり知られていない複雑な恋愛事情が存在します。実は彼女には結婚歴があり、また長年連れ添った内縁の夫もいました。そして現在も新たな関係が囁かれています。
元歌手・朝月廣臣との結婚と離婚
都はるみさんは1979年、同じ芸能事務所に所属していた歌手兼経営者の朝月廣臣さんと結婚しました。二人の縁は、都さんのデビュー時代に朝月さんが前座を務めていたことから始まったと言われています。周囲の反対を押し切って結婚した二人でしたが、わずか3年後の1982年に離婚することになります。離婚の背景には、朝月さんが写植会社の経営から撤退してオーダースーツ会社を設立したものの、銀座で朝まで飲み歩くという生活スタイルが原因で都さんとの間に頻繁な口論が発生していたことがあったようです。
20年以上連れ添った内縁の夫・中村一好
都はるみさんの人生において大きな存在だったのが、中村一好さんです。中村さんは1983年から2008年まで、約25年間彼女の内縁の夫として共に歩みました。元々日本コロンビアの社員だった中村さんは、都さんの才能に惚れ込み、1989年に「プロデュースハウス都」という都はるみさん専門の個人事務所を設立します。二人の間には深い絆があり、都さんは子どもを望んでいたものの、健康上の理由から叶わなかったと伝えられています。しかし2008年4月4日、中村さんは都内の事務所で亡くなりました。当初は病死と報じられましたが、後に自殺であったことが明らかになります。その詳しい理由については、現在も多くの謎が残されたままです。
都はるみの現在は元俳優とホテル暮らし?
現在、都はるみさんは元俳優の矢崎滋さんと親密な関係にあるとされています。矢崎さんは2014年に芸能活動から引退した人物で、俳優としての活動だけでなく、ハリウッド俳優マイケル・ケインの自伝小説の翻訳も手掛けるなど、幅広い才能を持つ人物です。情報によれば、二人は法的な婚姻関係にはなく、東北地方のホテルで共同生活を送っているとのことですが、当事者からの公式な発表はありません。
最後に
都はるみさんの現在は、印税収入で豊かな生活を送りながら、新たなパートナーとともに静かな日々を過ごしている様子。子供には恵まれなかったものの、数々の名曲は彼女の「子供たち」として日本の音楽史に永遠に残り続けるでしょう。これからも都はるみさんの穏やかな余生を、ファンとして温かく見守っていきたいものです。